事 績
倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(現 クラレ)、倉敷毛織、中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務め、大原財閥を築き上げる。
社会、文化事業にも熱心に取り組み、倉紡中央病院(現 倉敷中央病院)、大原美術館、大原奨農会農業研究所(現 岡山大学資源植物科学研究所)、倉敷労働科学研究所(現 労働科学研究所)、大原社会問題研究所(現 法政大学大原社会問題研究所)、私立倉敷商業補習学校(現 岡山県立倉敷商業高等学校)を設立した。
倉敷教会(後の日本基督教団倉敷教会)の最初の教会員。
社会、文化事業にも熱心に取り組み、倉紡中央病院(現 倉敷中央病院)、大原美術館、大原奨農会農業研究所(現 岡山大学資源植物科学研究所)、倉敷労働科学研究所(現 労働科学研究所)、大原社会問題研究所(現 法政大学大原社会問題研究所)、私立倉敷商業補習学校(現 岡山県立倉敷商業高等学校)を設立した。
倉敷教会(後の日本基督教団倉敷教会)の最初の教会員。
年 譜
1880年(明治13年) | 倉敷市にて誕生(7月28日生) |
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1898年(明治31年) | 倉敷で開催された音楽幻灯会で石井十次氏と知り合う。その人格の深さに感銘を受け、これ以降絶大な協力者となる |
1901 年(明治34年) | 石井十次の紹介で、石井英太郎(福山誠之館初代校長)の四女スエ(のち、寿恵子)と結婚。倉敷紡績に入社 |
1902 年(明治35年) | 工場内に工員のための尋常小学校設立 私立倉敷商業補習学校(現 岡山県立倉敷商業高等学校)設立 大原奨学会開設 日曜講演会(現 大原孫三郎・總一郎記念講演会の前身)を開始 |
1905 年(明治38年) | キリスト教の洗礼を受ける |
1906 年(明治39年) | 倉敷紡績の社長に就任 |
1914 年(大正3年) | 大原奨農会農業研究所(現 岡山大学資源植物科学研究所)設立 |
1917年(大正6年) | 財団法人石井記念愛染園設立 |
1919年(大正8年) | 大原社会問題研究所(現 法政大学大原社会問題研究所)開設 |
1921 年(大正10 年) | 倉敷労働科学研究所(現 労働科学研究所)開設 |
1923 年(大正12 年) | 倉紡中央病院(現 倉敷中央病院)設立 (工員のみならず市民の診療も行った) |
1926 年(大正15 年) | 倉敷絹織(現 クラレ)設立 |
1930年(昭和5年) | 中国合同銀行(現 中国銀行)設立 大原美術館開館 |
1935年(昭和10年) | 倉敷毛織設立(後、倉敷紡績に吸収合併) |
1939年(昭和14年) | 引退(企業体を長男總一郎に引継) |
1943年(昭和18年) | 1月18日 永眠 (享年62歳) |